rayzoGODの聖書

畏れよ忠栄よ、是成る冷気万物を帰する浄化の光

日記を書こう

文章を書かなきゃいけないことが最近あってそれが難しかったこと。ダ・ヴィンチ・恐山こと品田遊氏の著書、「キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々」を購入し読み進めていると「自分も文章が書けるようになりたい」などと思い、同時に同氏の軽めなファンな為、真似事のつもりで定期的に日記という形で書いていきたいと思った次第。過去に日記を書いていきたいと全く同じことを言っているがそれはもういいだろう。

普段からTwitterで文字を打ってはいるがあれは脊髄反射みたいなもので「思考」をほぼしていない。

同著の帯の「毎日、思考してますか」という文言が目に入り「ああ、毎日は思考してないかもなあ」と思ったのも購入のきっかけ。たまにタイムラインに流れてくる恐山氏のツイートを観て、140字の制限の中でも面白い文章を発信する人と常々思っていた。知的というか読んでいて面白い。自分にないものには憧れがある。

フォローはしていない。ファンを自称するならフォローしてはどうだろう。

 

思考、していない。感動したりして脳に刺激を与えないと徐々に死んでいく感覚がある。それにもかかわらず無感情に無感動に時間を後ろへ通してしまっていて、死まで秒読み。背中から時間に刺される。

文章、書いてない。今とても苦労している。それっぽい文章を意識してるが文字書きの人が見たら鼻で笑うような出来かもしれない。一年後にはもっとマシになっているのだろうか。

この日記でやりたいことは思考と文章の訓練。平たく言えば少しは頭が良くなりたい。

冷蔵を知ってる人は感じてるかもしれないが冷蔵は頭が良くないのだ。

日常で感じたこと、思ったことを言語化して残す。語彙力や感受性も上がって「人間としてのレベル」みたいなものが上がっていくのではないか、と妙な信頼を寄せてキーボードを叩いている。今自分は自分自身をレベリングしていると考えたら幾分気持ちも上がっていくものだ。

 

さて、今日はラーメン食って温泉行ってうどん食ったがどう書こうか。